自転車で四国一周 〜6日目〜 (最終日)

~6月5日(月) 6日目~

 

朝は、早く目が覚めた。4:30頃だったと思う。空を見上げると、雲の間から青い空が見えていて、とても綺麗だった。涼しいと寒いの間くらいの気温だったと思う。この日の夜には、愛媛でフェリーに乗りたかったので、急いで朝ごはんのフルグラを食べて出発した。道をiphoneのGooglemapで確認しながら進んでいったが、四万十川と書かれた石碑までは遠くはなかった。道沿いから見える四万十川はとても綺麗だった。しかも、朝の6時台で、小鳥や動物の鳴き声がしながら走るのはとても気持ちよく、落ち着くことができ、最高の時間だった。森や森にいる動物たちと会話しながら走った。そうすると、すぐに佐田沈下橋に着いた。沈下橋の写真を見たときは、落ちないか不安だったが、思ったより、道幅も広くて、自転車が通るには十分すぎた。車は危なそうだ。渡ると、まだ朝で誰もいないので、最高の四万十川の景色を一人で味わうことができた。そして、また森の中の道を進んでいく。早朝で空気の澄んだ森の中を走れて、僕のテンションは上がっていた。幸せな気分だ。次は三里の沈下橋に着いた。そして出発し、高瀬沈下橋、勝間沈下橋と進んでいった。その次の口屋内沈下橋は、橋が崩れているそうで、渡ることはできなかった。そして、ようやく出発から2時間半、8:30頃に岩間沈下橋に着いた。(ここから、1年半ぶりに書きます。)そこでは、河原で、水切りをした。早朝誰もいない中、鳥のさえずりと木々の揺れる音、透き通った水と綺麗な空気の中での水切りは格別だった。

 

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岩間沈下橋

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朝の四万十川

そして出発。次の目的地は、下灘駅だ。やはり、早朝に四万十川の側を自転車で走るのは、気持ちが良く、速く進むことができた。途中で、道の駅「よって西土佐」に立ち寄った。そこでは、四万十のぶしゅかんドリンクを飲み、それから鮎を食べた。鮎は、2017年で初めて漁れた鮎だったので、1匹、5~600円の金額がした。焼けるのを待つ間、鮎の店のご主人から、勾配の少ないルートを教えて頂いた。鮎は、美味しく、また四万十川の鮎を食べられて、満足だった。そして出発。だが、僕の体は、もう何日も走っていて、さらには食料はフルグラだけの生活だったので、疲労はピークに達していた。なので、途中でまた、道の駅「日吉夢産地」で休憩した。そこでは、少し背伸びをして、ドデカミンのジュースや、少しの食料を買った。そして休憩していると、なんと、足摺岬で会った、台湾のツーリングの団体の方々に再び会った。再会を喜んでいると、欲しい物を買ってあげると言われ、たくさんのパンを買ってくれた。そして、すぐにツーリングの方達は出発していった。誰かもわからない若者に、食べ物を恵んでくれるなんて、とてもありがたく、感謝しかない。その後、僕は、店の外に居たおじさんと話をした。話した内容は忘れてしまったが、その方は、優しく、愛のある方だった。気がつくと30分くらい経っていたので、僕は、急いで別れを告げて、出発した。夜のフェリーに乗り遅れないように、急がないと、と思っていたのだが、体はなぜか疲れず、スイスイと走れた。疲れた時は、休まずに無理をして進むのではなく、しっかり休息をとって、しっかり食べた方が結果的に、うまく行くということを学んだ。そしてすぐに下灘駅に着いた。景色は綺麗だった。九州がうっすらと見えた。

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灘駅


駅には、らぶらぶベンチという、2人座るとくっついてしまうベンチがあった。いつか、愛する人と行きたいと思う。駅の外にはコーヒー屋があった。お店の人に水を恵んでくださいとお願いをすると、ありがたいことに、無料で、たっぷりの氷水をくれた。その方に、深く感謝し、出発。次の目的地は、愛媛県庁、松山駅道後温泉だ。海岸線は開放感があって、走るのが楽しく、スイスイ進める。あっという間に着いた。

 

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愛媛県庁 (石碑は無いそう)

道後温泉では、女性に声を掛け、写真を撮ってもらった。

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道後温泉


その時、なぜか周りは、騒がしかった。聞くと、フジテレビの生中継をこれからやるそうなのだ。地元の人達が集まっている所を撮るそうだ。アナウンサーの木村拓也さんという方がいた。なので、せっかくなので、僕も参加した(自転車付きで)。僕が金髪だったからか、周りの人達から、少し避けられた感じがした。その後、周りを散策していたら、僕と同じサイクリストを見た。自転車で旅をしているように見えたので、声を掛けてみたら、その方は、これから四国一周をするそうだった。話をしていると、一緒にご飯を食べようという事になり、商店街の中にあるお店に入った。なんと超絶豪華な、鯛飯を奢って下さった。さっき会ったばかりなのに、ここまでしてくれるなんて、ありがたすぎる。初対面にも関わらず、打ち解けて、お話ができて、最高の時間だった。その後、一緒に道後温泉に入った。久しぶりに入る道後温泉は、気持ちが良く、昔の時代を感じた。そして、礼を言って、その方の幸運を祈り、別れた。僕も、フェリーの出航時刻が近づいていた為に、急いでフェリー乗り場まで向かった。その途中で、街灯もとても少ない住宅街に入った。前の自分だったら、とても怖くて一人では到底走れなかっただろうけれど、今回の旅で、真夜中に1人で峠越えをしたこともあってか、全く怖くなかった。そしてフェリー乗り場に到着し、出港。あっという間に、四国の街は見えなくなった。これで僕の四国一周の旅は終わった。

 

そういえば、帰り道、道後温泉の商店街を抜けようと歩いていたら、なんと足摺岬と道の駅「日吉夢産地」で会った、台湾のツーリングの方達に、更にまた会った。3度目の出会いだった。その中の1人の男性に、「いい旅になったね」と言われた。これまでの四国一周の旅で感じた全ての僕の気持ちを、優しく包んでくれたような、そんな言葉に感じて、胸の奥がジーンとした。その時は、急いでいたから、「ありがとうございます」と頭を下げることしかできず、話はできなかったけれど、ずっとその言葉が頭から離れなかった。人生ってこういうものなのかなぁ。SNS等の機械を通してでは得られない、人間間の繋がりを感じた。台湾の方達のように、国籍は違えど、住む場所は違えど、皆同じ命で、いまをこの地球で生きている。根っこでは皆繋がっていて、みんな家族なんだ、そんな事をいま書いていて感じた。困っている人がいたら、助け合って生きていきたいと思う。この旅での、奇跡のような出会いの中で、多くの人の優しさや、愛を感じれたことは、より自身の人生を豊かにしてくれたと思う。

四国一周での経験や、感じた思いは、これからもずっと、僕の心に在り続けるだろう。

自転車で四国一周 〜5日目〜

~6月4日(日) 5日目~

 

朝は、4:45くらいに目を覚ますと、同じく野宿していた人がテントを片付けたり、体育会系の小学生の団体が点呼をしたりしていた。野宿していた人をよく見ると、全身白い服を着ていたため、一瞬でお遍路さんだとわかった。僕は、お遍路さんと話してみたかったので、飛び起きて、急いで寝袋とマットをたたんだ。と同時に、軍隊みたいな朝礼をとっている小学生の団体を見てとても新鮮だった。荷物をまとめると、急いでお遍路さんの所へ向かった。そして、話をした。話を聞くと、この方、50歳で、今まで飲食店や不動産などの会社を4つ程経営していたそうだ。それに、海外にも100か国くらい行って、いろいろなことをしていたそうで、他にやることが無くなったからお遍路をしているそうだ。軽い気持ちで目的も無くして始めたそうで、重い気持ちで始めて目的のある、例えば子供を亡くしたとか、そういう人とはなかなか話が合わないようだ。驚いたことは、尾崎豊さんとはよく飲んでいたり、X JAPANのToshlさんが洗脳された洗脳組織のリーダーとは、不動産関係の友達だったそうだ。このお遍路さんからは、成功哲学をエレスカレーターに例えて教えてもらった。何事も、自分で決めた以上は成功するまで諦めないことが一番大事だそうで、あと少しで成功するというところで諦めてしまうという人は多いそうだ。いろいろなことをしたいなら、一つ一つ、成功してから次のことをやったほうがいいと。1時間近く話をした。直々に成功した人から話を聞くことができて、とても貴重な時間だった。その人と、別れた後、僕は朝飯を買って食べながら話をすれば良かったと思いつつ、急いで、近くのローソンまで走って朝飯を買いに行った。そして急いで食べて出発した。その日はかなり暑かったために、途中たくさんの自販機で飲み物を買ってしまった。道に迷って先に行ったり戻ったりしながら、まずはなんとか四万十川の橋を渡ることができた。そこから足摺岬まで約39kmだ。時速20kmペースで行くと2時間で余裕で行くだろう。だが、ここからがとてもきつかった。10:30位に四万十川を通って、足摺岬に着いたのは14:30位だ。おそらく体力的な疲労もかなりあったのだろう。予定と全く合わず、パニックになりつつある自分がいた。12時ごろ、とてもお腹がすいてきたので、びわの木はないかと探していたら、かなり大きい柑橘系の果物が生っている木が人の畑かどうかわからない所にあって、僕はその果物を一つ取った。そして出発しようとすると、なんと前輪がパンクしてしまっていた。僕は、おそらく罰が当たったんだなと思いつつ、予定通りに全く進んでいないこともあり、かなり焦りながらパンク修理をした。徳島の方でパンク修理をした際に、タイヤレバーを折ってしまったこともあり、作業は難航した。おそらく1時間近くかかってしまったと思う。そしてなんとかパンク修理を終え、出発した。そしたら、先ほど見たバイクがもう引き返していた。いくらなんでも、早くないか?と思ったが、僕が遅いだけなのかもしれない。横を過ぎ去っていく車やバイクをとても羨ましく思った。だが、自転車に乗ることからしか見えない景色もあるのかもしれないと思い、先を急いだ。

途中、清水の名水と呼ばれる湧水があったので、立ち寄った。土佐の3名水の内の1つだそうだ。喉が乾いていた僕には、最高の水分になった。そして、上り坂や下り坂を越えながら、やっとの思いで足摺岬にたどり着いた。何度か引き返そうと思ったが、自分で行くと決めたので頑張った。そこには、地球が丸いことがはっきりとわかる、最高の景色が待っていた。僕はここまで自分の力で来ることができた自分はすごいと思った。お姉さんたち灯台で写真を撮ってもらった。そして、展望台では60代位のご夫婦や、台湾から来たツーリングの団体の方たちにも写真を撮ってもらった。帰ろうとしたら、先ほどのお姉さんたちが白川洞門にはいいた方が良いよと教えてくれたので、行くことにした。行くと決めたはいいものの、そこに行くまではとてつもないくらい急な階段を下りる必要だった。帰るときに大変そうやなと思いながら、降りた。降りるとそこには絶景が広がっていた。岩壁の下だけに穴がポッカリと開いているのである。地球の壮大さを感じた。そこの穴には波が押し寄せてきて、かっこよかった。僕はそこで、フェリー会社に1日だけフェリーを遅らすことを連絡した。そして城山洞門を出発。予想以上に上りの階段はきつかった。

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足摺岬



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城山洞門



 

次の目的地は四万十川だ。夕日が沈む前には、四万十川に行きたいと思い。急いだ。だが、朝飯はフルグラで、昼飯はまだ食べていない中で、もうすでに4時であったため、漕ぐエネルギーは無かった。そういえば、これまでの旅で肉を食べていなかったと思い、ほっともっとで玉ねぎと肉の入った丼を食べた。自転車を中に入れることができると思ったが、衛生上良くないのでダメと言われたので、外で座って食べた。とても美味しく、一気に食べると、エネルギーが湧いてきた。そして、出発した。自転車を走っていると、目の前に太陽があった。ということは西に進んでいるのだ。僕はこの道で合っているのかと疑問に思い、前から走ってきた中学生位の男の子に現在地を聞いてみたら、ここを真っすぐ行ったらいいよと教えてくれた。なので、真っすぐ行ってみたが、何かが変だ。そして、もう一度自転車に乗っていた男性に尋ねた。すると、反対方向に行っていたことが分かった。僕はその方にお礼を言い、その方向へ急いだ。だがどの道を曲がればいいのかわからなくなり、また走っていたおじさんに教えてもらった。そして、ようやく進むべき道に戻った。あとは、四万十川までひたすら真っすぐ漕ぐだけだ。そう思い、僕は急いだ。すると、歩いていたおじいさんが話しかけてきてくれ、この道を行った方が近いよと教えてくれた。地図の表記には、この道は通らないことになっているのだが、地元の方が言うのだから間違えはない。その道を進んでみると、通る予定だった道よりも断然アップダウンも少なく、とても良かった。教えてくださった方に感謝だ。同じ道を帰っていく途中、行くときに寄った湧水にも、もう1回立ち寄り水を汲んだ。そして、パンクした場所も通り(記念に写真を撮った)、四万十川までたどり着いた。時計を見てみると、四万十川から、行きは約10:30から14:30の4時間、帰りはなんと、足摺岬16:30から四万十川が約19:00と、2時間半で来ることができたのだ。四万十川まで戻ってきた僕は、かなり疲れ果てていたので、寝る場所を探すことにした。なので、近くにあったJAに聞きに行って、店長さんに尋ねた。すると、すぐ近くにある東屋か、少し北にあるお堂を教えてくれた。そして、ローソンで夕飯を買い、早速お堂へ行ってみた。だが、お堂の周りは真っ暗な森で、街灯は一切無く、ものすごく怖かったので、東屋にすることにした。東屋へ向かう途中、歩いていたご夫婦にも訪ねたが、東屋かお堂しかなく、またお堂へ案内されたが、やはりかなり怖かったのでやめた。そして東屋へ向かった。着いた頃には、辺りは真っ暗で、空を見上げると、月が僕を照らしていて、とても綺麗だった。そして先ほど買ったご飯を食べていると、虫がとても多いことに気がついた。僕は、香川で風呂に入ってから一度も入っていなかったので、虫たちにとってはいい匂いだったのだろう。食べ終わると、急いで虫除けを買いに行った。レジでお金を払うときにお話をした店員さんはとても良い方だった。ローソンでは、入り口が2重になっていたため、自転車の鍵をかけずに済んだ。そして東屋へ戻った。友達のhide君や母さんに連絡したりしていたが、時間が結構過ぎてしまい、やめて、疲れ果てていたので、早くに寝ることにした。僕が寝た東屋は椅子の背もたれが格子状になっていて、よく外が見えなかったために、入念に東屋の周りをチェックして寝た。マットを敷き寝袋を敷いて中に入り、iphoneを見ていると、いつのまにか寝てしまっていた。確か、1時か2時か3時ごろに目を覚まして気がついて、慌ててしまい、バッグを寝袋の中に入れた。よく誰にも盗られなかったなととてもとてもホッとした。運が良すぎる。誰に盗られてもおかしくはない状況だったのに。そして就寝。

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四万十川の横にある東屋で野宿



自転車で四国一周 〜4日目〜

~6月3日(土) 4日目~

 

 あまりよく眠れなかった。朝は、あまりの寒さに目が覚めた。こんなに冷えるとは思ってもいなかった。だが、無事に朝を迎えられた喜びは大きかった。昼夜の寒暖差は四国の山の中はもの凄い。ちゃんと事前に調べておいたら防寒具持ってきたのに、と思いながら、自動販売機にあったホットコーヒーを買い、飲みながらフルグラを食べた。食べ終わると、一台の車が止まった。おじさんが出てきて、トイレに行った。そこから出てくると、寒いね~なんて言いながら話をした。そしたら、なんと車の中で温まり~と言ってくれて、ありがたいことに30分程、車の中の暖房で温まらせてもらった。室戸岬足摺岬、どっちがいいか話をして、そのおじさんは室戸岬の方が良いと言っていた。御礼を言って外に出て、寝袋を片付けようとすると、結露でびしょびしょに濡れていた。車の中に入れて乾かせば良かったと思いつつ、トイレの中の手の乾燥機で乾燥させた。そして出発。最初の目的地は、日本一の杉がある、杉の大杉だ。昨日通った、急坂を上っていると、上にある民宿の基礎の土台の木のところに、本当の人かと思うくらいリアルな等身大の忍者がいた。結構怖くて、本物かなと思い、ずっと見たが、動くことはなかった。他にも、鹿にも遭遇した。こちらをおそらく見ていて、僕が見ると、逃げていった。朝でもかなり怖い忍者の人形とが鹿とかに遭遇すると、昨日の夜、先に進まなくて、本当に良かったと思った。朝の山の中はとても気持ちがいい。テンションが上がり、山の空気をたくさん体で感じながら走った。 

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この坂を下って、一番最初に見える建物が、道の駅にしいや


橋桁だけが残る橋を見た。そして杉の大杉に到着。ここは、美空ひばりさんが訪れた場所でも有名だ。杉の大杉のエネルギーをたくさん吸った。神社で参拝した後、水で手を洗うのを忘れていて、手を洗いに行くと、おばさんと柴犬がいた。柴犬がこの水を飲んでいたので、手を洗ったあと、僕も飲んだ。その方はご主人が高知工科大学で教えられているそうで、その間に杉の大杉に来られてそうだ。話をして別れようとすると、なんと参拝で払う予定だった500円を僕にくれた。ジュースでも買いよと優しく言ってくれた。なんてありがたいお方なのだろう。深く感謝した。後、美空ひばりの石碑があった。「川の流れのように」の歌詞が彫られてあった。そして、杉の大杉を出発。次は、高知県庁へ向かう。出発したら、すぐの道の駅杉の大杉に、新聞屋みたいなのバイクで日本一周と書いた紙を貼って、休憩している人がいたが、先ほどの場所で結構時間を使ったので、通り過ぎた。綺麗な川や橋を通りながら高知市に近づいてきた。道路の素材が良いのか、急に速度が速くなる。自転車に乗っていると、道路の素材がいいのか、自分の氣がいいのか、はたまた、風が押してくれるのかよくわからないが、下り坂なのに、速度が落ちていったり、上り坂なのに、速度が上がっていったりする。不思議で仕方がない。目の錯覚なのかなと思ったりする。とても氣になるところである。そして、高知駅に着いた。ご当地アイドルのイベントか何かをやっていた。その後ろには、とても大きい像が、左から、武市半平太坂本龍馬中岡慎太郎とあった。次は高知県庁へ向かった。

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高知県


高知県庁の隣には高知城があった。城好きな弟には申し訳ないが、見えてしまうのだから仕方がない。そして、次は、その近くにあるひろめ市場へ向かった。着いたはいいものの、自転車を止める場所が無い。軽く止められる所はたくさんあるものの、すぐに盗られてしまいそうだ。だから、市場の中ではなく、商店街にあるたたき丼の明神丸というお店に入ろうと思い、店員さんに自転車は中に入れていいかと聞いたが、駄目で、かわりに近くにある大きい駐輪場を教えてもらった。そこに止めて、その店に行こうとしたが、お店の人の対応があまり良くなかったので、そこの店はやめて、市場の中に入った。そしたら、一際目立ち、客がならんでいるお店があったため、僕もならんだ。同じ明神丸という店だが、ここは客が多く、商店街の明神丸は全く客がいなかったので、なにかが違うのだろう。僕はかつおが苦手だから、食べられなかったらよくないと思い、真ん中の小中大の中の7切れを頼んだ。隣に並んでいる客に聞いたところ、机はどこでもいいと言っていたので、空いているところに座った。食べていると、同じ机に座って食べていた、男性2人に話しかけられた。この方たちは、1人は京都、もう1人は大阪から来たそうで、他の机に座っている人達とは雰囲気が違っていた。市場の雰囲気は、不思議で、大阪のようなわいわいとした感じでもなければ、静かというわけでもなく、僕が感じたのは、家族性が強いように感じた。仲間意識が強いというか。人見知りがあるのか。仲間、友達とは、よくしゃべるけど、知らない人とはあまり話さないような感じだった。とにかく不思議な空気だ。関西人のお2人とは、和気あいあいと話しをした。1人は高知県出身で、話によれば、春先のかつおが一番おいしくて新鮮らしく、ひろめ市場にあるこの明神丸は、高知でも一番おいしいかつおのたたきのお店なのだそうだ。僕は、本当に超がつくほどラッキーである。かつおは苦手なのだが、ここのかつおのたたきは絶品すぎた。焼いたうまみとかつお本来の味が最大限に引き出されている。ひろめ市場を出ると、次は桂浜へ向かった。

桂浜に着くと、自転車置き場に、前の車輪に荷物が2つ、後ろに2つと大量の荷物のランドナーが置いてあった。駐車場を管理している人に、君、若いね~と言われた。年齢は関係ない。坂本龍馬像の所に行くと、自転車に乗る格好をした男性に会った。聞いてみれば、千葉県千葉市から半年をかけて日本一周をする夢を叶えるために、会社を50歳で早期退職して、夢を叶えている真っ最中だそうで、ランドナーの前後に2つずつ、合計4つのバッグを下げてのの旅行がその方のポリシーだそうだ。なんとも変わっている、凄いポリシーである。素晴らしいと思った。一緒に写真を撮って、ブログの名刺をもらい、別れた。坂本龍馬の像はとても大きく、その目は未来を見据えているように見えた。勇ましい。桂浜からはだだっ広い海と波の音が聞こえた。坂本龍馬が見た海の景色と聞いた波の音と同じものを見聞きしていると思うと、勇気が湧いてきた。自分は可能性の塊なのだ。なんでもできる。どこまででも行ける、と。砂浜の砂を袋に少々詰めて、持って帰った。16;00、桂浜を出発した。

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桂浜。ご家族に撮ってもらった。



次に目指すは、高知の一番西、四国最南端の足摺岬だ。ずっと海岸線で、なぜか僕は海岸線は早く走れるので、30kmくらいの速度で走行していた。そして、軽い山をいくつか越えて、道の駅かわうその里すさきの少し前にある大きなスーパーマーケットでお腹もすいたので休憩することにした。駐車して、買い物に行こうとすると、車椅子に乗ったおばあさんが車にお花を積もうとしたので、手伝いましょうか?と言ったら慣れているから大丈夫よ、と言われた。そこからいろいろ話をした。四万十の方から毎週お孫さんを習い事に送りに来るついでにスーパーマーケットに寄ったのだそうだ。あと、ここから足摺岬に行くには久礼坂というとんでもない坂を越えなければ行くことはできないそうだ。僕はそのことを初めて聞いたが、これまでもたくさん山を越えてきたので、大丈夫だと思った。そして30分程話をして、別れ、買い物に行った。お腹がすいていたので、いろいろと買って、近くにあったベンチで食べた、だが、もうこの場所に1時間近くもいてしまっているではないか。早くしないと、日も暮れて真っ暗になってしまうので、3分の1程ご飯を残して、出発した。30分も話したことを少し悔やんだが、もう過去には戻れないので、急いだ。しかし、もうすぐには日が沈んで、真っ暗になってしまった。僕は、自転車のライトだけを頼りに急いでペダルを漕いだ。途中、ライダーズハウスみたいな宿泊施設があるという看板があり、建物から出てきたお姉さんに聞いたが、かなり遠そうだったし、道の駅あぐり窪川と同じような距離だったので、ライダーズハウスに行くのはやめた。坂道は永遠に続くように見えた。始めの方は街灯があったが、だんだんと街灯と街灯の距離が離れていき、完全に自転車のライトしか明るいものはないという状況にまでなってしまった。しかも。前と後ろは道路で、右左は全て森である。動物や、幽霊が出ても全然おかしくはなかった。僕は、幽霊と遭遇したくはなかったので、下を見ながらペダルを漕いだ。そうすると、目の前に「登坂車線」と表示された看板が見えた。よし頑張るぞと気合が入り、より一層早くペダルを漕ぐ。そうすると「登坂車線終わり」という表示された看板が見えた。僕は、やった!もう下り坂だ!と思い気持ちが軽くなる。だが、一向に下り坂になる気配はない。次の瞬間、なんとまたもや「登坂車線」と書かれた看板が見えた。一気に精神的に追い込まれる。だが、もう後には戻れない。下を見ながら、ひたすら漕いだ。もし漕ぐことをやめれば自転車は止まり、そして休憩をすれば動物や霊が近寄ってくるかもしれない。そう思うと、ぞぞぞっと鳥肌が立つ。というよりかは、この坂を上っている時はずっと鳥肌が立っていた。完全に真っ暗な中で僕一人。明かりは自転車のライトのみ。しかも終わりの見えない坂。隣は森。体力は限界を超えていて、ほぼ気力だけで上っている。こんな経験は初めてだ。どうなるかと思ったが、ようやく「登坂車線終わり」という看板が見えてきた。通り過ぎる。ようやく下り坂だ!と思ったのだが、またもや一向に下り坂の気配がない。またまた嫌な予感。すると、目の前に、「久礼坂」と書かれた看板が見えた。えっ!?ここからが本当の坂なの!?!?気力も体力もすでに限界の僕に、とめどなく襲ってきた久礼坂。なんで、四国一周とかやってしまったのだろう。事前にこの坂のことを知っていたら、次の日の明るいときに上ったのに。こんなに四国は山が多いなんて知らなかった。などと言い訳にもなることばかり考えてしまった。しかし、もう後には戻れない。あとは自分との勝負だ。こんな状況に立たされて、ネガティブなことばかり考えていたら、本当に霊を引き寄せるかもしれない。そんなことを思い、僕はポジティブな事を考えることにした。この坂を真夜中、自転車で、そして、何㎞か知らないで上り切った人は僕だけだろう。伝説になるかもしれない。そんなことを考えながら登った。意地でも上ってやると。この坂はどこまであるかわからない。ここで止まると霊にやられてしまうのではないか、今すぐにでも霊に襲われるのではないかと思い、全身鳥肌が立ちながら、懸命にペダルを漕いだ。最後の方は、疲れたというよりかはゾーンに入っていて、体力、気力の限界を通り越し、この坂を越えることに楽しみさえ抱いていた。気合でペダルを漕いだ。この坂では、1回たりとも止まってはいない。ひたすら前に進む。必ず頂上はあると信じて。うぉーーとか、あーーとか大声を出しながら。そして漕いでいると、「七子峠」という看板が見えてきた。ようやく下り坂になるのである。最後の力を振り絞って上った。そして下り坂だ。かなりの坂だったので、下り坂も急なのではと思ったが、少しゆるやかな下り坂だった。途中に、ラーメン屋があり、人がいたので、ここから道の駅あぐり窪川はどのくらいの距離ですかと聞いたら、10km程度で、ゆるやかな下り坂だよ、そこの道の駅は結構野宿している人がいるよ、と教えてくれた。自転車が無かったら乗せてあげたのにと言い、チョコレートを一つくれた。ありがたい。そして、下り坂とゆるやかな上り坂を走って、21:30過ぎくらいに道の駅あぐり窪川に到着した。峠を越えたのだ。おそらく、昼間だったら、こんなにきつくはなかっただろう。夜中に登ってしまったから、大変だったと思う。誰か野宿している人はいないか探してみると、一つだけテントがあった。僕は端の方に良さそうなベンチを見つけたので、そこで寝ることにした。母さんに電話をしたが、フラフラでかなり疲れていて、言葉があまり出なかった。だが、この峠を越え、しかも夜中に越えたということは、自信もついたし、度胸もかなりついたと思う。そして、フルグラを食べて、就寝。

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道の駅「あぐり窪川



自転車で四国一周 〜3日目〜

~6月2日(金) 3日目~

 

あまり深くは眠れなかった。フルグラを食べていざ出発。外に出ると、小学校のグラウンドの土に、自転車のタイヤが沈んだ。まず目指すは徳島県庁。始めは、海岸沿いに行ったので、30kmぐらいの速度で走った。とても気持ちがいい。だが安全運転には気を付けなくてはならないので、大声で、「絶対に死ぬなよ~絶対に死ぬなよ~絶対に絶対に」などと歌いながら向かった。やがて海岸線を抜け、山の方の道になると、一気に速度が落ち、だるくなる。海岸線の方が好きなのかもしれない。そして、下り阪に差し掛かろうとしたその時、なんと後輪がパンクしてしまった。僕は急いでパンク修理セットと自転車トラブル解決本を出す。タイヤの中からチューブを出そうとタイヤレバーで奮闘していたその時、なんと2本あるうちの1本のタイヤレバーが折れてしまった。その時僕は本当にパニックになり、ヤバいどうしようと本気で思った。そのタイヤレバーは、イギリスで購入したもので、初めて使うものだった。僕の本気の思いが伝わったのか、なんとかタイヤが外れ、チューブを出し、パンク修理に成功した。45分~1時間位かかったと思う。とても疲れた。

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徳島県



徳島県庁には、国道11号線沿いに行ったので、2時間半位で着いた。60代ぐらいのご夫婦がいたので、写真を撮ってもらった。徳島の名物と言ったら、僕の中ではすだちだったのだが、聞くからには、すだちは、さほど有名ではないらしい。祖谷そばが有名みたいだ。徳島駅に行くと、気前のいいおっちゃんが、草刈りをしていた。この自転車、いい値段するでしょ、と散々言われた。そこから一気に西の三好市まで向かい、大歩危小歩危を目指す。ひたすらに西へ進んだ。走っていると、いろいろなことを考える。家族のことを考えると、涙が止まらなくなってしまった。気がついたら、僕は17歳になっており、もう大人に近づいている。小学6年生で九州にきてからあっという間だ。あちこちで、大学生ですか、17歳には見えない、大人に見えますね、と言われる。ああ自分は大人に見えるのかと、気分がよくなる。それはしかし、子どもの村(通っていた学校)で、子どもの村の子どもは大人に見えると言われてきたから、無意識のうちに大人にならなきゃいけないと思って、そう演じてきたのかもしれない。(そうじゃないかもしれない)。自転車に乗っていろいろと感じてみると、子どもの時というのは、人生の内でとても短いのだと思った。そう思ったら、まだ子どもでいたいと強く思った。無理をして大人を演じる必要はないのだ。大人になる時は誰にでも自然にやってくる。子どもの時はすぐに終わる。そう思ったら、今この時を大事に無理をしないで自分らしく生きるべきなんだと思った。なんだか学生になりたくなった。そんなことを考えたりしながら、ボーッとしながら運転していたら、道路と歩道の間にある、ボコッとした部分(歩車道境界ブロック)に自転車のタイヤを擦ってしまった。歩車道境界ブロックに当たる!と直前に気が付いたのだが、両手でバーエンドバーを持っていたため時すでに遅しであった。その瞬間、道路側の、歩車道境界ブロックにタイヤを擦らしてしまい、道路に倒れそうになった。心臓が止まるかと思うほどの恐怖体験だった。もし道路側に車が走っていたら、大事故になっていたかもしれない、と考えると、とてもとても恐ろしかった。絶対に絶対に安全運転で行かねばと思いつつ、道路に全く車が走っていなかったことに、どれだけ運がいいんだ、どれだけ守られているんだと強く思い、僕のご先祖様や背後霊様、神様に深く感謝した。そして大歩危小歩危まで一気に向かう。休憩なしで自転車を走らせていたため、道の駅貞光ゆうゆう館の近くの川沿いにある東屋で昼食を取った。食べ終わり、出発の準備をしていると、おじさん2人がこの東屋へ休憩に立ち寄り、そのおじさん達と少し話をした。大歩危小歩危まで行くと言ったら、1人のおじさんが、自転車はせこいわ~と何回も「せこいわ~」を連呼していた。僕は「せこいわ~」は「ずるいわ~」という意味だとずっと思っていたのだが、徳島の人はどうも違うみたいだ。「せこいわ~」という言葉にかなりの違和感を覚えながら、東屋を後にした。大歩危小歩危に近づいてくると周囲の空気はだんだんと深くなっていった。まず、小歩危に着いた。山々の間を通っていく川の景色は、圧巻だった。

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小歩危

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鉄道橋





 

上を見上げると、鉄道が通っていた。山から急に現れる鉄橋は、迫力があった。そして、セブンイレブン三好大歩危店に着き、休憩することにした。ちょうど、softbankユーザーは、SUPER FRIDAYの特典でセブンイレブンで、4つの商品から一つ、無料で貰えるのだ。僕は、チョコバニラアイスを頼んだ。それを食べたら、口内炎になってはいけないと思い、野菜のスムージーを買った。外に出ると、外人のチャリダーで、これから出発しようとしている人がいたので、話しかけてみた。彼は、ヨーロッパの人で、1か月日本に滞在していて、姉が東京に住んでおり、高知から、自転車で旅をしているそうだった。これから行くゲストハウスに一緒に行かないかと誘われたが、反対方向だったために、断った。そして、別れて、セブンイレブンを出発。大歩危も通った。上に山があって、下に大きな岩壁、岩があり、自然の成り立ちを肌で感じた。

次の目的地はかずら橋だ。大歩危から14kmと表示されていたので、30分くらいでいけるかなと軽く思っていた。しかし、現実は、そう甘くはなかった。山を2つほど超えないといけなく、しかも、日の入りまであと1時間という、とんでもない状況に追い込まれた。かなりのパニックになった。坂は、かなりに急坂で、歩いて上った。途中、サルの群れにも出くわし、余計に焦った。あまりにもきついし、日の入りまで刻々と時間が経っていくため、軽トラとかに自転車を載せて、僕も乗っけてもらえないだろうか、と考えていた。始めに通った軽トラは、過ぎ去っていったが、2回目に通った軽トラは、止まってくれた。ここから後1km程でトンネルに入るから、そこを越えたら、下り坂だよと教えてくれた。僕は、載せてほしかったなと思ったが、乗せてもらえず。後たったの1kmだと思って、最後の力を振り絞った。トンネルでは、誰もいなかったので、日の入りまでには着くぞーーー!!!!と、大声で叫びながらひたすらにペダルを漕いだ。そして、ようやく長い上り坂を終えると、今度はとんでもない下り坂があった。ブレーキをかけながらは走っても、54kmあまりの速度が出た。もうこれで着く!と思っていたが、また坂があった。目の前にいたおじいさんに聞いたら、そんなにきつくはない。日の入りには着くよと言われたので、頑張って速度をあげて行った。そして、やっとの思いでなんとかギリギリに着くことができた。しかし、入口はもう閉まっている。駐車場にいた車に急いで行って話をすると、下に降りたら良いとのこと。急いで下に降りた。時刻は19;28だった。かずら橋の入り口にはロープが張っていて、お金を払わないと渡れないと書いてあったのだが、ここまで来て渡らないのは、損すると思って、ロープをくぐって渡り、1往復した。(申し訳ありません。次回行くときは、2回分払います。)渡る部分は木でできており、隙間だらけだったので、スリルがあった。橋の真ん中からの景色は、もうすぐ暗くなるけどまだ明るい空と、薄暗い川で、まるで物語の中に入り込んだようだった。渡り終わると、道には、提灯が街灯の役割を果たしており、今すぐにでも幽霊がでてきそうな雰囲気で、ぞぞぞっとした。

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怖い。。



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橋の上から



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怖すぎた。。



 


そして、上からも写真を撮影した。照明が緑で、かっこよく、とても雰囲気があった。もうその時には、すでに辺りは真っ暗だった。ほんの10分の出来事だ。あと数分もおそかったら、橋も真っ暗で渡れていなかっただろう。日の入りギリギリに着くというこの僕の運の良さは、凄すぎる。ご先祖様、背後霊様に感謝しかない。時間的には、まだ20;00前で、走れたのだが、僕の体力、精神的に疲れていたので、途中にあった道の駅、「にしいや」で野宿することにした。かずら橋から3.6kmくらいを走ったり歩いたりしながら、20;30過ぎくらいに着いた。着いたら、まだ走れそうな気もしたが、先の道路は真っ暗だったために、諦めた。

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道の駅「にしいや」



初めての一人での野宿だったので、緊張と不安とドキドキとワクワクの感情が混ざっていた。道の駅の中を散策していると、建物内に等身大の人の人形が2つも置いてあり、怖くなった。あと、男子トイレの横に人の似顔絵が描かれた紙があって、見ると、琵琶湖のバラバラ殺人事件、見つけた人は300万円と書いており、ますます怖くなって、鳥肌が立った。夜中にここの道の駅に僕一人でこんなものを見たので、恐怖に陥った。ただでさえ怖がりの僕なのに。だから、寝る場所はこの紙が見えない場所にした。寝袋を敷くマットの周りをよく見ると、大量のアリがいた。僕はこのままだったら、僕の寝袋にも侵入してくるかもと思い、ごめんなさいと思いながら、そこにいたアリをほとんど殺した。この場所以外の寝る場所を探したのだが、良い場所が無かったのだ。少し位置を変えれば、あの紙が見えてしまう。苦渋の決断だった。アリさん、本当にごめんなさい。心よりご冥福をお祈り致します。かずら橋の写真をinstagramにあげたり、電話したりしていり、なんやかんやしていたら、0;00時をまわっていたので寝ることにした。しかし、とてつもないくらい寒い。Yahoo!天気を見ると、気温は11℃だった。上の服は、オレンジの半袖と青い長袖だけだった。寝袋にくるまって就寝。

自転車で四国一周 〜2日目〜

~6月1日(木) 2日目~

 

なかなか熟睡できずに朝を迎えた。朝ご飯は、時間が無かったので、カロリーメイトを一つだけ食べて、フェリーを出発した。5:00.まずは丸亀市にある、讃岐うどん、「よしや」へ向かった。到着予定時刻は、11時30分だ。Google mapを見ながら、進むのだが、住宅街の中を通り、道が複雑なため、何回も間違えた。ずっと、スマホのルートを頼りに進むと、急な坂が出てきた。そんな坂を前にすると、こんなことしなきゃよかったと、本当に後悔した。トンネルに入ると、歩道が無い。自転車で、トンネルの中を走ると、誰もが感じることだと思うが、後ろから、車やトラックが来ると、急に自分にせまってくるかのようなものすごい音が、とてつもない恐怖に感じる。なおかつ、トラックなどの大きい車だと、横を通り過ぎるときにかなりの強い風が僕を襲うので、倒れそうになり、非常に危険だ。坂を越えると、次は、最高の下り阪が待っている。車と並走しながら、大体、40~50kmのスピードが出る。今回の旅行の最高時速は、54.7kmだ。そうこうしながら走っているのだが、なかなか目的地に着かない。5:00に出発して、8:00までは、走行距離60kmと順調だったのだが、だんだんと疲れてきて、速度も落ち、休憩も多くなった。結果、「よしや」に着いたのは、14:30になってしまった。「よしや」では、温玉冷やしぶっかけうどんを食べた。できてから、食べる前に支払いをしなくてはいけなく、その時間の関係なのか、うどんにはコシがなく、期待していた讃岐うどんと大分違い、あまり麺はおいしくなかった。ただ、汁はおいしかった。そこから出発し、次は香川県庁に向かった。しかし、道が間違っていて、また戻ったりして、時間のロスが生じた。

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香川県

香川県庁に着いたら、次は香川駅へ向かった。ちょうど、17:30位に着いて、帰宅ラッシュだったため、かなり目立った。そこから、次に向かう所は徳島県庁だ。しかし、予定では、すでに鳴門の渦の道に行き、徳島県庁、そして道の駅藍ランドうだつに向かっている。1日目からこんなにも予定がずれると、次の日、また次の日と予定がずれていくし、夜だと渦は見れないと判断し、鳴門海峡の渦の道は諦めた。パニックに陥りながらも、懸命にペダルをこいだ。しかし、日は刻々と沈んでいく。19:30にもなると辺りは真っ暗になった。それでも。僕は徳島県庁へ向けて前へ進む。精神的には、予定通り進んでいないため、かなりの焦りとパニックになり、身体的には、トレーニングもしないでいきなり、走っているのだから、かなりの疲労が僕を襲っていた。心身ともに、疲れ果てたので、僕は今日中に徳島県庁へ着くことを諦め、寝床を探すことにした。東屋は一つ見つけたが道路に面していて目立つのでやめた。走っていると、駅が見え、そこに女性がいたので、ここら辺でお遍路さんが寝れるような場所はあるか、聞いてみた。すると、わざわざ今から出発しようという車から男性が出てきてくれて、話を聞いてくれた。名前は大字さんだ。すると、なんと2000円で泊まれるところがあるというのだ。僕は野宿しか頭になかったので、他に違う所、東屋みたいな所はないか聞いたが、女性が2000円で泊まれるなんて安いじゃん!と言っていたので、僕も悪くはないかなぁと思い、そこに泊まることにした。そう言うと、なんと車で連れて行ってくれるというのだ。ありがたいと思いつつ、車に自転車を積み込み連れて行ってもらった。

 

宿泊場所に着くと、そこはコンテナ一つをまるごと部屋に改造した、コンテナハウスだった。しかも、風呂、トイレ、温水ポッド、布団、バスタオル、コーヒーの粉など、あらゆるものが備えてあり、とても感動した。ある程度の使い方を聞いたら、夕飯はあるか聞かれた。フルグラしかないと答えると、なんと、駅にいた女性からもらった、ハンバーガーやケーキをくれたのだ。もうありがたすぎる。ちなみに女性はその駅の駅長の奥様だそうだ。そして、大字さんが帰ると、早速風呂に入った。風呂から上がると、なんと驚くことに外は雨が降っていた。しかも、だんだんと強雨になっていき、しまいには、とんでもない強雨と氷、雷が夜中じゅうずっと降っていた。なんて運がついているのだろうとしみじみ思った。大字さんも言っていたが、あと1秒2秒遅かったら、もう大字さんは出発していて、こんな素晴らしいところには泊まれていなかっただろう。大字さんに大感謝するとともに、自分の運の良さにはとても驚いた。感謝する。そして就寝。

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寝た所は、「The Villa AIOI」という所。小学校の跡地を利用している。



自転車で四国一周 〜1日目〜

これから始まる四国一周の文章は、2017年に自転車で四国を廻った直後に書いていたものです。しかし、途中で書くのをやめてしまっていました。なので、今回、自己満足としてブログに残しておこうと思い、最後まで書きました!

 

~5月31日(水) 1日目~

 

 

フェリーの中。やはり、久しぶりの自転車旅行で、ましては一人で行くのは初めてだから、かなり不安が強い。フェリー乗り場に着いたら、自転車を外に置いて、中で手続きをしてと言われたので、より一層不安を感じた。しかし、もう後には戻れない。自転車を置く地下の駐車場に自転車を持っていくと、トラックが入り終わるまで待ってと言われた。長い間待っていたから気づいたことだが、小さいフェリーを動かすにも、たくさんの従業員がいて成り立っているんだなぁと感じた。すごい仕事だなぁと思った。こういう人がいて、日々の生活は成り立っているのだと。自転車を中に入れたら、とても優しそうなお兄さんが自転車を引き取ってくれた。とても嬉しかった。そして出航。就寝。

一期一会

 

2017年 9月23日の僕の思い (LINE BLOGより)

 

僕はヒッチハイクで東京に行っていた。小中学生の時の友達と会い、その時の中学校の大人に会いに行く目的で行った。ただ会うために東京に行くのも面白いなと思い、軽い気持ちで、行った。


次の日は友達と、前に通っていた学校の姉妹校がある、南アルプスへ向かった。とても歓迎してくれて、少しだけ見学する予定かと思いきや、見学どころか、授業に参加させて頂いた。そして、帰ろうと思っていた時、学校の大人(この学校では、先生を○○先生と呼ばず、ニックネームで呼ぶ)に、今日、泊まっていったら?と言われた。寝床が決まってない僕としては、最高に嬉しい。学校には寮があり、部屋が空いていたので、泊まれることになった。


僕が泊まった寮の場所は、小学校低学年の子どもたちが泊まる所だった。寮に行くと、ある程度予想していたが、予想をはるか超えた勢いで、もみくちゃにされた。頭の上にも前にも後ろにも足下にも、子どもたちが僕の周りを囲んでいた。そうやって子どもたちと関わっていた時、僕は、とてもホッとした気持ちになった。まるで家族のようで、力や緊張がほぐれて、リラックスできた。なぜか次の日、口内炎が急に良くなっていた。精神的な影響があったのかもしれない。
その夜、寮母さんとお話をした。大人が子どもと遊んであげることもあるけど、子どもが大人と遊んであげることもあるのだと言っていた。お話をしていると、女の子が、さみしい、としくしく泣きながらやってきた。その子はまだ小学1年生で親元を離れ寮生活をしている。子どもたちは、僕たち以上にいろいろな事を感じながら、日々生きているのだなぁと思った。

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次の日は、何も予定がなかったので、ひたすら歩いてみることにした。歩いていると、メールが来た。誰かと思ったら、南アルプスの学校へ通う友達のお母さんからだった。その子は、僕が中学3年生の時、小学2年生で、よく一緒に遊んでいた。その友達のお母さんからのメール。
大体こんな感じ。
母:「子ども達から聞いたよ。土曜でもご飯食べようよ。(その時は木曜)」
僕:「僕、明日にはヒッチハイクで帰らないといけないのです。。」
母:「じゃあ、インターまで車で送ろうか?せっかくだから、ドライブでもして、東名高速道路まで送るよ。」
山梨県から東名までは100km近くあると知り、
僕:「!!!!!!!ありがとうございます!!!!!」
母:「学校に泊まってるんだったら、朝、拾うよ」
僕:「もう学校にはいなくて、今日の夜は野宿をして、星でも見ようかと思っております。」
母:「うちにおいで。」
僕:「!!!!え!?ほんとですか!!!ありがとうございます!!!!!」これはヤバイ!運がついてるにも程があるなと思った。
その夜、寝る前に、子ども達と絵本を読んだ。ぶっ飛んでいる本で、とても笑えた。ベッドで寝ながら本を読んでたら、とてもホッとした気分になった。と同時に、ふと、朝には全く想像もしていなかった夜を迎えていて、人生っておもしろいなっと思った。3年ぶりに会う友達の家に泊まるとは、思いもしていなかった。


次の日は、友達のお母さんが、朝早くから、東名高速道路まで送って下さった。もの凄くありがたい事に、お土産まで買って下さり、感謝してもしきれない。
そして、北九州へ向けてヒッチハイク開始。
初めて1分くらいで、すぐに見つかり、降りては、またすぐに見つかったりして、なんと、岡山県のSAまですぐに来れた。なんて運がいいんだ!!だけれども、そこから3時間半は、全く乗れなかった。おそらく、50人位には話しかけたと思う。そのほとんどの方が行き先が違っていて、乗れなかった。だけれども、御飯を奢って下さったり、飲み物も多くの方から頂いたり、話し相手になってくれたりして、人の温かい心をたくさん感じた。それと同時に、無視する方や、文句を言う方もおり、世の中にはいろいろな方がいるんだなぁと肌で感じることができた。


やっとの思いで乗せて下さった方は長距離トラックの運転手の方だった。お互いの人生について、長い時間、話をして、初めてトラックで寝た。朝御飯も奢って下さり、いつもは1人で食べるから、一緒に食べれて嬉しい、とまで言って下さった。気が付いたら、心と心が繋がっているような感覚になった。降りる時、連絡先を聞いたのだけれど、こういうのは一期一会だからと教えてくれなかった。また、ご縁があれば会うし、無かったら死ぬまで会わない。ただ俺は、お兄ちゃん(僕)の顔は脳裏に焼き付いているから一生忘れない。また、ご縁が会って会う時は、話をしよう。と言って下さった。涙が出た。
一期一会。。
一生忘れない。

 

#ヒッチハイク #鉄砲玉