一期一会

 

2017年 9月23日の僕の思い (LINE BLOGより)

 

僕はヒッチハイクで東京に行っていた。小中学生の時の友達と会い、その時の中学校の大人に会いに行く目的で行った。ただ会うために東京に行くのも面白いなと思い、軽い気持ちで、行った。


次の日は友達と、前に通っていた学校の姉妹校がある、南アルプスへ向かった。とても歓迎してくれて、少しだけ見学する予定かと思いきや、見学どころか、授業に参加させて頂いた。そして、帰ろうと思っていた時、学校の大人(この学校では、先生を○○先生と呼ばず、ニックネームで呼ぶ)に、今日、泊まっていったら?と言われた。寝床が決まってない僕としては、最高に嬉しい。学校には寮があり、部屋が空いていたので、泊まれることになった。


僕が泊まった寮の場所は、小学校低学年の子どもたちが泊まる所だった。寮に行くと、ある程度予想していたが、予想をはるか超えた勢いで、もみくちゃにされた。頭の上にも前にも後ろにも足下にも、子どもたちが僕の周りを囲んでいた。そうやって子どもたちと関わっていた時、僕は、とてもホッとした気持ちになった。まるで家族のようで、力や緊張がほぐれて、リラックスできた。なぜか次の日、口内炎が急に良くなっていた。精神的な影響があったのかもしれない。
その夜、寮母さんとお話をした。大人が子どもと遊んであげることもあるけど、子どもが大人と遊んであげることもあるのだと言っていた。お話をしていると、女の子が、さみしい、としくしく泣きながらやってきた。その子はまだ小学1年生で親元を離れ寮生活をしている。子どもたちは、僕たち以上にいろいろな事を感じながら、日々生きているのだなぁと思った。

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次の日は、何も予定がなかったので、ひたすら歩いてみることにした。歩いていると、メールが来た。誰かと思ったら、南アルプスの学校へ通う友達のお母さんからだった。その子は、僕が中学3年生の時、小学2年生で、よく一緒に遊んでいた。その友達のお母さんからのメール。
大体こんな感じ。
母:「子ども達から聞いたよ。土曜でもご飯食べようよ。(その時は木曜)」
僕:「僕、明日にはヒッチハイクで帰らないといけないのです。。」
母:「じゃあ、インターまで車で送ろうか?せっかくだから、ドライブでもして、東名高速道路まで送るよ。」
山梨県から東名までは100km近くあると知り、
僕:「!!!!!!!ありがとうございます!!!!!」
母:「学校に泊まってるんだったら、朝、拾うよ」
僕:「もう学校にはいなくて、今日の夜は野宿をして、星でも見ようかと思っております。」
母:「うちにおいで。」
僕:「!!!!え!?ほんとですか!!!ありがとうございます!!!!!」これはヤバイ!運がついてるにも程があるなと思った。
その夜、寝る前に、子ども達と絵本を読んだ。ぶっ飛んでいる本で、とても笑えた。ベッドで寝ながら本を読んでたら、とてもホッとした気分になった。と同時に、ふと、朝には全く想像もしていなかった夜を迎えていて、人生っておもしろいなっと思った。3年ぶりに会う友達の家に泊まるとは、思いもしていなかった。


次の日は、友達のお母さんが、朝早くから、東名高速道路まで送って下さった。もの凄くありがたい事に、お土産まで買って下さり、感謝してもしきれない。
そして、北九州へ向けてヒッチハイク開始。
初めて1分くらいで、すぐに見つかり、降りては、またすぐに見つかったりして、なんと、岡山県のSAまですぐに来れた。なんて運がいいんだ!!だけれども、そこから3時間半は、全く乗れなかった。おそらく、50人位には話しかけたと思う。そのほとんどの方が行き先が違っていて、乗れなかった。だけれども、御飯を奢って下さったり、飲み物も多くの方から頂いたり、話し相手になってくれたりして、人の温かい心をたくさん感じた。それと同時に、無視する方や、文句を言う方もおり、世の中にはいろいろな方がいるんだなぁと肌で感じることができた。


やっとの思いで乗せて下さった方は長距離トラックの運転手の方だった。お互いの人生について、長い時間、話をして、初めてトラックで寝た。朝御飯も奢って下さり、いつもは1人で食べるから、一緒に食べれて嬉しい、とまで言って下さった。気が付いたら、心と心が繋がっているような感覚になった。降りる時、連絡先を聞いたのだけれど、こういうのは一期一会だからと教えてくれなかった。また、ご縁があれば会うし、無かったら死ぬまで会わない。ただ俺は、お兄ちゃん(僕)の顔は脳裏に焼き付いているから一生忘れない。また、ご縁が会って会う時は、話をしよう。と言って下さった。涙が出た。
一期一会。。
一生忘れない。

 

#ヒッチハイク #鉄砲玉

鉄砲玉@韓国

 

2017年 9月19日 の僕の思い (LINE BLOGより)

 

鉄砲玉をやってます!と言っていたら、なんと韓国から依頼があり、韓国に行った。
2週間、寝る所と食べる所はどうしていたかというと、依頼された方が、ホームステイ先を用意してくれていた。韓国のフリースクールに通う子どもの家だ。本当は、1家族だけにホームステイする予定だったのだが、奇跡的にも、子ども達の間で僕の話が広まり、泊まってほしい!と言う声が増え、帰る日まであちこちの家に泊まっていた。どこの家族の方も本当に優しい方たちで、言葉は通じなかったけど、(うまく言えないが)心は通じた。


鉄砲玉依頼では、ニワトリが遊べるスペースを作ったり、苗や種を植えたり、草刈りをしたり、いろいろやったが、1人で韓国を旅したりもした。

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旅の途中でふと思ったこと。それは、みんな宇宙の中の地球という惑星に住んでいて、みんな、好みの味、性格、好みの人などは違う。皆が皆、違う事と同じように、人それぞれ違ったいろんな生き方があってもいいんじゃないかなぁと思った。


僕がニートだった時、毎日何も起こらなくて、時間だけがどんどん過ぎていくような生活だった。だから、どこか(通信制高校とか)に所属しないといけないのかなと、ずっと思っていて、自分で将来の選択肢を狭めていた。そして7月末、坂爪圭吾さんのいばや食堂に行った時、鉄砲玉の話を聞いて、こんな生き方があるんだ!と、とても衝撃を受け、面白そう!と思った。そして、家も無い生活となると、寝て食べないと生きていけないので、この生活は毎日何かしら起こるな、と思い、一瞬で鉄砲玉をやることを決めた。

 


韓国から帰ってきて、すぐにヒッチハイクで東京に来て、今は渋谷のスタバにいる。
ヒッチハイクは5月から何回かやっていて、合計100台以上の車に乗せて頂いている。ヒッチハイクをはじめたばかりは、人に気を使いまくりで、会話が止まってはいけないと思い、どうでもいい会話を、超絶的愛想笑いと共に、降りるまでしていた。だが、いつもそのヒッチハイクが終わると3日くらい動けないくらいに疲れていた。そこで思った。


いかに人と会うときに、楽に自分を保てるか。


今日、京都から東京まで乗せて下さった方なのだが、僕の中で、1台の車で1番長い距離を進んだ車だった。その中で、僕は喋りたいときにしか喋らない、自分の思いに嘘をつかない、ということを少し意識してみた。そしたら、誰も喋らない、沈黙している時間が全く気まずくなく、本音でとても深い会話までできて、自分の心が重くならなかった。とても不思議な時間の流れだった。


ふと、みんなおんなじ命だなと思った。生きているだけで、充分なんだなぁと感じた。自分の気持ちに正直に生きていきたいと思う。

 

#ヒッチハイク    #鉄砲玉